長年の相棒とのお別れ

音楽日記

先日、ついに長年僕を色々なところに運んでくれた愛車との別れの日がやってきて、最後のドライブとなりました。

彼を前オーナーである当時のバンドメンバーから$650で引き継いだころは僕は30代、車は10代前半。

壊れるまで何年乗れるかと思っていましたが気が付けば僕はアラフィフ、車は四半世紀も現役でいてくれました。


引っ越しもスタジオにでっかいミキサーを運ぶのも彼じゃなければできませんでした。

オヤジバンドのスタジオへも、あっちゃんバンドのリハへも、それ以前のバンド活動の時も色々なところへ僕を乗せていってくれました。

僕のLAでの音楽活動をずっと支えてくれていたのだなと感慨深いです。

最終的にはクラッチがかなり磨耗して、停止した状態でも微妙にクラッチが繋がっていて、ギアをバックに入れられなくなっていました。

いったんエンジンを切ってギアをニュートラルにしてからエンジンをかけ直せば、まぁ、なんとかギアは変えられるという状態。

以前にも同じ状態になってクラッチ交換をしたのですが、いかんせん93年製という古い車なので手に入るパーツも新品ではなく、見つかってもどこかのジャンクヤードでのお下がり品です。

交換したとしても何年もつか、それどころか手に入れることさえ難しくなってきていました。

そこに数百ドルもかけるよりは、中古の車を買った方が現実的…そんな時がやってきてしまいました。

行きつけのメカニックにも、これはもう処分して買い換えることを勧めるよと言われ、環境問題のためにカリフォルニア州が有料で引き取ってくれるプログラムを教えてくれました。

条件にクリアすれば$1000の小切手を貰えるとのことで申請してみましたが、その条件をクリアできず、保険が切れたために車両登録も執行してしまうとの通達をDMV(車に関することを管理する行政機関)から受け、後ろ髪を引かれる思いでジャンクヤードへ引き取ってもらうことにしました。

言ってみれば車の処分場です。

そこへ僕の夢や新しい生活、音楽活動を側で支えてくれた相棒とドライブするというのは複雑な心境でした。

それでも彼は久しぶりにエンジンを回し、クラッチ以外は特に問題もなく、いつも通りに走ってくれました。


町の外れのジャンクショップはどこかのハリウッド映画に出てきそうな雰囲気で、車は最後にはこういう場所に来るものなのかと、随分と寂しい場所に思えました。

年式の割にはよく走ってくれましたし、燃費も良く、貧乏だった僕がなんとか音楽機材を揃えられるようになっていった理由に、僕が乗っていた車が彼だったことが挙げらるのは間違いありません。

そして彼は最後に僕に$200を残してくれました。

なんて健気で泣かせてくれる車なんでしょう。

次に買う予定の機材に彼の意思を託し、白いフォードのエスコートと一緒にLAで冒険していた日々の想い出を残しておけたらと思います。

こういう場所でお別れとなるのは寂しかったのですが、事故で廃車になったのでは無く、最後まで元気で一緒にドライブしてくれた彼を誇りに思います。

彼と別れてからのバス停までの帰り道。

今までを振り返りながら、考えてみたら彼が僕にとっての最初の自分の車で、それまではバイクで移動していたことを思い出したりしました。

バイクではアンプは運べないのでギターやベースだけを担いで運んでいて、アンプが必要な時はメンバーに乗せてもらっていたりしました。

フォードを手に入れてから、やっと自分の足で色々なところにアンプを持っていけるようになり、それから個人での演奏活動もできるようになりました。

車社会のLAでは単に音楽活動をすると言っても、楽器だけでなく自分の交通手段を確保する必要があります。

少なくともライブや人前でのパフォーマンスを主体とする活動、ましてやプロとしてやっていくには絶対に車を手に入れる必要があります。

比較的少ない出費で音楽をやってこられたのは、やはり彼の陰での働きあってのものだったのだと改めて思います。

僕の音楽活動が人前でのパフォーマンスから自宅での制作とネットでの公開へと内容が変わり、このタイミングでの彼の引退…。

もしかしたら、彼は最後の役目を果たして安心してくれているのでしょうか?

僕は車にお金をかけず、決して良いオーナーとは言えませんでした。

それでも、ここまで僕を支えてくれていた彼は僕にとって永遠の名車であり、相棒です。

いつか、その姿を見て懐かしい日々を思い出せるように、こうしてブログにしたためておこうと思います。

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