照り焼きチキンを作っちゃいました!
料理のできない自分がですよ!
骨つきの鳥もも肉を買って、包丁で肉をさばいて骨を取って、醤油・みりん・砂糖・はちみつでソースを作って、フライパンで鳥を蒸し焼きにして、照り焼きチキンを作ったんですよ!
しかも、ジューシーな仕上がりでちゃんと照り焼きの味だったんですよ!
うまかったんですよ!
…し、信じられません。
盛り付けのダメダメ加減、切り口のガタガタなチキン、千切りとは言えないキャベツ、コマ切れ状態の大根と人参がいかに包丁の使えない料理下手な人間かを物語っていますが、そこは愛嬌ということでご勘弁を。
え? 音楽日記じゃないのかって?
まぁまぁ、そう言わずにもうしばらくお付き合いくださいな♪
いやぁ〜、それにしてもですねぇ、照り焼きチキンを自分で作る日が来ようとは夢にも思いませんでしたよ。
しかも、美味しく出来るだなんて…、あ、ありえへん話ですよ。
ぐすっ。(涙目)
料理ができる方、主婦の方には何言ってんだかって話だと思うんですけど、料理をしない人間からしたら照り焼きチキンなんて別世界の話です。
レシピって凄いですね!
音楽も料理も似たようなところがありますよね。
そうなんですよ!
この照り焼きチキンを作れた時の驚きは、自分で曲が作れるんじゃないかと実感した、オリジナル曲を作り始めた頃に似ているんですよ!
最初は下手で誰に聞かせてもイイ評価がなかったころ。
それにめげずにいつかは人にイイねって言ってもらえるような曲をかけるようになるぞと曲を書きまくったり、理論の本を買いあさって勉強したり、MTRを買って多重録音をしまくったりしていたころをふと思い出しました。
曲を書くようになってから、やっと誰かに真顔でイイねって言ってもらえたのって5年ぐらいかかったかな?
最初なんて苦笑いされるようなものしか書けなかったもんなぁ。
いやぁ〜、あまりのセンスの無さに挫折したころもありましたし、音楽をできない時期もありましたが、下手の横好きでよく続けてきたものだって自分で感心しちゃいますね。
照り焼きチキン、挑戦した甲斐がありました。
まぁ、面白半分でやってみたっていう軽いノリだったんですけどね。(^^
考えてみれば、曲作りもそんなノリで遊びながら始めましたねぇ。
でも、これで少しは自分も料理ができるようになれるんじゃないかという望みを持てた気がします。
まるで、自分にもイイ曲が書けるようになれるんじゃないかという希望の光が見えた時のような。
これで奥さんが疲れた時に『じゃぁ今日は俺が夕飯作るよ』なんて言ってあげられるようになれるかな?
まだ「照り焼きチキン」と「なます」と「きんぴらごぼう」と「ジャーマンポテトの成れの果ての粉ふきいもモドキ」ぐらいしか作れませんけど。(^^;
それにしてもあれですね、中火って今までどんな時に使うのかさっぱりでしたけど、中火ってなかなか便利ですね。
今までは強火か弱火だけでしたからねぇ。
やっぱり用途に合わせて丁度いい加減っていうのがイイですよね。
中火の使い方の上手な人は料理上手な人なんじゃないかな〜なんて思いました。
今のアメリカのヒットチャートは強火な音楽がいっぱいですよね。
強い炎で身を焦がすようです。
派手で迫力があって、見た目も豪華。
でも、なんか心にジワっとくるものじゃないんですよね。
強火もそうですよね。
表面は派手に焼き目がつくけど、中は生のままだったりしますよね。
しかもすぐに冷める。
派手に盛り上がれるのはいいんですけど、あんまり心に残らないんですよね。
何回も聞いているとだんだん疲れてきて、ライブで演奏した曲なんてしまいにラジオで流れるだけでもう勘弁してって感じになっちゃいます。
自分は強火で焦げ付いちゃうタチなんでしょうね。(^^
自分はボサノヴァ大好き人間で、言ってみれば弱火の音楽が好きなタイプ。
情緒があって、派手じゃないけど心にジワ〜っと沁みて余韻が残るような浸れる音楽が好きですね。
放っておくとそればかりになってしまいます。
でも、それだけではやっぱりダメなんですよね。
弱火だけだと煮くずれしてしまいます。
弱火は味わい深くて素晴らしいと思いますが、弱火しか使えないのではできる料理は限られてしまいますし、シャキッとした料理はできません。
音楽も時には力強さがないと表面を撫でているだけの存在で終わってしまいますよね。
やっぱり、心のツボを押すには丁度いい強さってものも必要なんじゃないかなって思います。
強火には強火の良さがあり、弱点もある。
弱火には弱火の良さがあり、弱点がある。
用途に合わせて使い分け、補い合うことで料理の幅も広がり、いろんな食材を美味しく食べてもらうことができるようになるんですね。
なんかこういう点でも音楽と料理って似てますねぇ。
そして今回手に入れた中火感覚♪
強火のような身を焦がす派手さはないけれど、ちょうどいい感じで火を通し、焦げ付かせない。
弱火では熱が染み透るのに時間がかかりすぎるところをぐい〜っと火を通していく感じ。
う〜ん、とってもイイ感じですね。
常々、音楽も人生も丁度いい感じを心がけたいなぁと思っているのですが、この中火の感覚、妙にしっくりきました。
ボッサだけだと何曲も引っ張るのはちょっとキツい。
好きな人はそれでいいんですけど、多くの人は退屈してしまうかもしれませんよね。
ロックとか派手なポップスは自分の音楽としてはちょっと違うと思いますが、人のバックで演奏する時にはやっぱり必要になってきますし、静かな曲ばかりの中にはアクセントも必要になってきますよね。
その間をちょうどいい感じで行ったり来たり、グラデーションを濃くしたり薄くしたり。
自分の音楽としてもボッサだけじゃなく、モータウンやアシッドジャズも好きなんで、そういうことを考えると自分的に、この中火という言葉が腑に落ちた感じがしました。
料理の火加減が大切なように、楽器を弾くときだって力加減は大切ですよね
いつだって力一杯では情緒がなくて子供っぽく聴こえてしまうこともありますし、かといって柔らかく弾いてばかりではなんか物足りない。
弱い中にも強さがないと芯のない音で終わっってしまいますし、強い中にもしなやかさがないと耳に痛い音になってしまいます。
普段は丁度いい力加減で弾いて、時に優しくささやき、時に力強く訴える。
そんな演奏ができたら素晴らしいですよね。
僕ができるようになれるかは分かりませんが、それを目指して精進したいものです。
そして、聴く人それぞれの生活シーンに溶け込むような、いろいろな日常に彩りを添えられるような、そんな音楽を作っていきたいなぁと思います。
派手じゃなくていいし、目立たなくてもいい、でも、そこにいてくれると安心できるような、聴き流せるけど、じっくり聴くと「やっぱり良いよねぇ〜」って、ふぅ〜ってため息が出ちゃうようなそんな音楽。
うぅ〜ん、自分の理想とするスタイルかもしれませんね。
Riocato音楽に中火感覚という新しい要素が生まれたかもしれません。
フライパンの中で中火で蒸し焼きになっていくチキンを眺めながら、自分が作りたい音楽は弱火から中火な音楽なんだなぁってしみじみと思った夜なのでした。
記念に一曲書いてみたりして?
タイトルは…「照り焼き革命」!
…やっぱりやめておいたほうが良さそうですね。 (^^;
コメント