ドラムのHideさんが忙しくなってきたこともあって2003年の秋からだんだんとスタジオでジャムをする機会が減っていきました。
年末にはYasukoちゃんの帰国(その後少し延びて2004年の4月に帰国となりました)が控えていることもあり、スタジオでのジャムはこのまま消えていくものと思われました。
二つのレッスンを受けていた自分にとっては課題の消化に時間を当てることができるので、それはそれで都合が良かったのですが、一人で個人練習に打ち込むだけの毎日というのは何か寂しく物足りないものです。
親しくなった人達もやがて帰国してしまう…。
そんなL.A.暮らしの一面を肌身で感じていました。
「もう少しジャズのことが分かってそれなりに演奏ができるようになったら、HideさんやYasukoちゃんとのジャムみたいに仲間同士でジャズの練習ができるようになれたらいいな。」
そんなことを思うようになっていた2003年の12月。
音楽の理論書を買いにリトル東京の書店に行ったところ、ボサノヴァの教則本があったのでそれを手にカウンターに向かったら…
『あれ? ギターを弾くんですか?』
と、顔見知りの店員さん。
僕『はい。ボサノヴァが大好きなんですよね~。』
店『ボサノヴァかぁ~、良いですよね!』
僕『大好きなんですよね~!』
店『Bandか何かやっているんですか?』
僕『Bandは今はやっていないですね。』
店『今はどんな事をしてるんです?』
僕『今はJazzの練習をしていますね~。』
店『じゃぁ結構弾けるんですね~。』
僕『全~然! まだまだです。』
店『Bandはもうやらないんですか?』
僕『今のところは予定は無いですね~。』
店『良かったら一緒にやりません?』
僕『え?面白そうですね。』
店『実はですねぇ....』
...と言う事がありまして....
その週末に ピアノとドラムと店員さんの3人でやっているジャズのジャムに ギター1本を持ってお邪魔してきました。
みんな気の良い人達でとても楽しく、 音楽が大好きなんだなぁという空気で一杯でした。
ピアノの彼は前もって聞かされていた通りにかなり上手くて陽気、 ドラムの彼とは以前に面識があったもののお互いに音楽をしているとは知らずに「あれ〜?そうだったの!?」みたいな感じですぐに打ち解けることができ、 彼らも自分の事を気に入ってくれたみたいで僕の加入は即決でした。
『軽い確認をすればもう決まり』みたいな感じで、なんとなく高校生の頃のような気分でした。
「楽しいからやる」みたいなそんなノリで、どことなく懐かしさを覚えるような感覚でした。
それまでのロック・ポップバンドからジャズ・ボサノヴァ方面へと僕の音楽スタイルが移行するように、After Broke Up(仮)からHideさんとYasukoちゃんとのジャズジャム、そしてこの週末ジャズ・ジャムグループへと僕の環境も緩やかに変わっていきました。
今思い返しても本当に不思議なことなのですが、嘘か漫画の中の話かと思うぐらい色々なことがシンクロしているように思えます。
その中でも強く思うのは本当に周りの人達に恵まれているということ。
自分自身はといえば、音楽スタイルの模索やアメリカでの暮らしが極貧なサバイバル状態だったこと、言葉に不自由していたこともあって、先のことなど思い描くことさえできないその日暮らしの中、色々な不安や葛藤などがあって精神的に穏やかとは言い難い部分もあり、周りの人達に嫌な思いや迷惑をかけてしまうことが多々ありました。
それでもこうして友人として招き入れてくれたり、時に励ましてくれたり一緒に悩んでくれたり、助言をしてくれたりと側にいてくれたみんなに本当に深く深く感謝しています。
この時期までの友人達は今では家庭を持ったり、帰国して社会人となっていたりとそれぞれの人生を歩いていることもあってほとんど疎遠となってしまっていますが、今でも本当にありがたい想いでいっぱいです。
さて、僕がボサノヴァの人へと変わっていく中で欠かすことのできない大きな存在である、この週末ジャズジャムグループですが、僕が加入したことで店員さんはグループを去ってしまいます。
実は、このグループはちょうど始まったばかりで店員さんは仮のメンバーとしてギターで参加していて、ベーシストを探しているところでした。
当時はジャズのベースなど分からず、ギターを習い始めていたこともあって僕はギターで参加させてもらうことになったのですが、店員さんは自分の代わりに引き継いでくれる人が見つかったということで卒業ということになりました。
そして僕は彼がつないでくれた縁の中、新しくできた気の良い友人達と毎週末ジャズやボサノヴァのジャムを重ねていくことになりました。
レッスンやジャムの生活ペースに馴染んできた2004年春、ボッサのスタイルで曲を書いてみたくなりました。
僕が持っていた安価なDTMソフトはプリセットパターンがなかったのでトラックは全部自分で作らないといけない上に貧弱な音質ということもあって、QY100を使うことにしました。
再びQY100を再び手にした時の音質とプリセットパターンの優秀さに「やっぱりこれだよなぁ〜」という安心感を感じたものです。
早速プリセットパターンを使って、自分のスタイルとして勉強中のサンバやボサノヴァのトラックを作ってみました。
これはその当時組んだものです。
メロディーがないので曲とは言い切れないですしタイトルも仮タイトルのままなので、僕の勉強の過程としてこういうトラックも作っていたんだなぁとネタの一つとしてもらえたらと思います。
だんだんとそれっぽいコード進行を使えるようになってきた頃ですね。
いつかはボサノヴァができるようになれたら良いなぁと思っていた日々から、ボサノヴァが生活の中に取り込まれて自分のスタイルとして確立されていく時期を今に伝えるデモ音源となりました。
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